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70.秋の夜長に (前編)

(注:このオリジナル記事は10月下旬です。)秋も深まり、朝冷え込むようになりました。
山の紅葉のニュースを耳にする事が多くなった今日この頃ですね。
そんなある日のこと・・・・

戸隠バードラインを抜け、宝光社手前から鬼無里へ左折して楠川から荒倉山キャンプ場方面に向かい紅葉の岩屋近くの駐車場に車をとめた。

山道を歩き始めると熊の糞があった。
糞の中にはヤマボウシの種が沢山含まれていた。
紅葉の岩屋には5分ほどでたどり着いた。
岩屋は奥行き10メートルほどの洞窟で、ここは都を追われた鬼女紅葉が隠れ住んだといわれている。

記念碑に手を合わせて安堵ヶ峰から松沢洞穴への山道を山の幸を求めて歩いた。
木々の合間から戸隠連峰が見える。今年登った西岳、八方睨みがもう一度来ないかと誘っているようだ。

黄色く色づいたシナノキの落ち葉を分けながらチャナメツムタケ(地ナメコ)やクリタケを探していくと前方になにか動くものがいる。
小さなキツネだ。

シモフリシメジの群生を発見し夢中で採っていると、少し離れた所からキツネがこちらを
見つめている。
気にとめずに、山の幸を求めさらに奥に進んでいくとなかなか松沢岩穴にたどりつかない。
キツネにばかされたかなと思い、振り返ると後をつけていたはずのキツネの姿が消えていた。

地図を広げて荒倉山縦走路方面を見当つけて、斜面を少し登ると地図に無い山道にでた。
30m程前方に薪を背負子に背負った若い二人連れが歩いていた。
追いついて道に迷ったことを伝え、紅葉の岩屋の駐車場への出方を尋ねた。
帰る方向が途中まで同じなので案内するという。
古めかしい着物のような山の野良着を着ている。
小柄な方の女性は二十代後半ぐらいか、うりざね顔で目鼻立ちが整っていた。
女優の黒木瞳さんに似ている。
もう一人は、少し年下なのか小柄な女性に従っている。私より長身でどことなく女優の小雪さんに似ていた。

1時間ほども2人と雑談しながら歩いた頃、彼女らの家にたどり着いた。
戸隠連峰と鏡池が見える。ここは見晴らしが良い所だ。
今時珍しい茅葺の屋根の合掌造りで、庭におかっぱ髪の7歳ぐらいの子どもが3人影踏みをしている。縁側に置かれたザルにはアケビ、コクワとヤマブドウが盛られていた。

「せっかくですから、少しお茶を飲んでいきませんか?」
「夕日がかかると西山が綺麗ですよ。」
ここから駐車場まで30分位だと言う。こころが動いた。

「コクワを如何ですか?」
縁側でお茶を飲みながらコクワを口に含んだ。熟しているコクワが上品な香りととろける甘さが口の中に広がった。
この家には、女性二人で住んでいるとの事。子ども達は、ふもとに住んでいて山の幸を持ってよく遊びに来るとのことだった。

「こんなに山深いところで二人きりでは、心細くないのですか?」
「もう慣れました」
小雪さん似の女は無言で西岳を見詰めていた。
西岳の左に鬼が一夜で気づいたという伝説の一夜山がそびえている。
その後ろに北アルプスが黒子のように連なっている。夕日が美しい。
眠くなった。
<続く>Oct.24 2005

fcblog見上げる
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69.炊飯


56.キャベツの花の続編です。
それは独身時代のこと。気が向くと野山にでかけ野宿などをしていたころの話です。
生来のものぐさで、会社の友人と群馬県妙義山に登り帰ってきてコーヒーを所望されたのでしばらく飲んでいなかったネスカフェの瓶をあけたところ、1年ぐらい飲んでいなかったようで変質していました。

また痩せの大食いというか、一食で食いだめをして不規則な食生活でした。
炊飯も毎回5合で、食事をしていました。

ある夏の日、5合炊いて何食か食事して最後まで食べ終わる前に、炊飯器の中のことを忘れて10日ぐらい忘れてしまったことがあります。
久しぶりに炊飯しようと炊飯器のふたを開けました。

   すると
    ↓
   灰色の煙がパアーと舞いあがり・・・・・
    ↓
   炊飯器の中を見ると・・・・・
    ↓
   なんと
    ↓
    ↓
   そこには
    ↓
    ↓
    ↓
  灰色の

毛皮のような、

一面のカビでした!!


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
話は飛びますがわたしは思いました。
浦島太郎は、きっと心優しいものぐさな男だったのではないかということです。

毎日タイやヒラメの踊りをみながら乙姫と濃厚な抱擁と秘め事の毎日・・・・・
乙姫の色香に迷いながらもかすかな理性を振り絞り・・・

★乙姫、げになごりおしゅうなれども陸にいる母のことが心配なり。
もはや陸に帰らん

☆そはいと淋しきことなれどやむなし。
なれば形見に妾の肌着を遣わせむ。
これなむランジェリーを妾と思ひ給へ、な忘れそ。

<しばし抱擁、最後のキスマーク

龍宮城の乙姫様が、浦島太郎に別れの餞別に重箱にいれた赤飯をあげたのではないでしょうか?
沢山の記念品と重箱を渡しながら
☆陸につかば、とく召し上がり給へ
といわれても毎日乙姫と濃厚に睦みあったラブシーンを毎日回想しながら、ふたを開けるのが惜しくて漆塗りのきらびやかな重箱を眺めていたのではないかと思います。
で、いつのまにか中身が食べ物などということをすっかり忘れてしまい、年をとってからあるときふたを開けると、カビの煙が舞い上がり・・・・・・・

これは、私の経験上による浦島太郎の解釈です。
昔話の夢を壊してごめんなさい。m(_ _)m
Oct.22 2005
work84

68.俺の空 <カタクリバージョン>


本宮ひろ志さんの「俺の空」。これは1976年ヤングジャンプで連載されいまだに新作が発表されています。
世の男性の理想が全て込められていて心をつかみ放しません。
とても夢のあるマンガですが、娘達の教育上宜しくないということで、内儀さんに隠されてしまいました。
ご存知ない方の為に少しだけ解説をします。
主人公は安田一平18才。日本有数の財閥の御曹司で頭脳明晰、剣道部の主将で美男子。家風に従い、1年間花嫁さがしの旅をする。
旅先で気の強い娘、清純、お嬢様、婦人警官、声が出ない娘、ヤクザの娘、舞妓など多様な女性に出会います。
そこで、この多感な年頃の主人公がいろいろな恋愛を重ねるわけですが、嫌味にならず多くの共感を得たのは権力を傘にした政治家や嫌味な金持ちの道楽息子にきつい灸の据え方が痛快で黄門様の勧善懲悪に似て痛快だったからでした。
夢でいいから、カタクリも安田一平になりたいなあ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
時代遅れのマントをはおり行き倒れたカタクリ、声がでない娘に助けられる。
娘は近くの飯場で働いている。
陽だまりで娘が仕事の合間にノートに何かを書いている。
カタクリが話しかける「何をかいているの?」
娘は恥じらい隠しながら筆談で「夢をかいていました」
「いつの時代でもシンデレラは、女の子達の夢です」
「パーティーで華やかなドレスを身にまとって踊ってみたい」

ちかくの豪奢な別荘では金持ちの若者達がひと夏を楽しんでいる。
飯場の建物の落成パーティーがあり、名士達とその子息子女達が招待された。
行き倒れのときとは見違えるようなタキシード姿のカタクリが花束とドレスを持って唖の少女のもとに現れる。
「これは、今宵一日限りの魔法だよ」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・・・・やっぱり、私らしくないなあ・・・・。
享楽に嵩じ欲望のままに行動する若者や、行き倒れの若者と睦みあっている少女に憧れている気の弱い青年のほうがしっくりします。
Oct.10 2005

67.夢うつつ


これは、青春時代の空想のひとこまです。

設定として私は30代後半でお金持ち独身、暖炉のある湖畔の別荘に一人休暇を楽しんでいる。

趣味でカメラを携え、早朝霧氷を撮影し雪景に残る小動物の足跡や時折みかけるカモシカの跡を追いかけて日も暮れて別荘に帰る道すがら、無人のヒュッテのテラスでもたれている女性を見つけた。抱き上げて別荘につれて介抱する。
どうやら湖畔周囲を歩きながら道に迷い疲労困憊し気温の低下により意識を失ったようだ。

軽度の傾眠状態で暖をとれば、健康状態に問題はないようなので暖炉に薪をくべ、意識が戻ったころブランデーを一口含ませる。

人心地がついたころあいを見計らい、入浴で軽い凍傷を癒させ、簡単な食事を取りながらワインを酌み交わす。
何かの事情で、夢が破れて自暴自棄になり悲しみを紛らわすように夢中で歩いて、道に迷ったらしい。

「道に迷って人に出会わず、日が暮れてきて怖かった。」
「なんで、道に迷うほど夢中で歩いたの?」
「指を骨折して幼いときから弾いてたピアノが弾けなくなって、夢が消えてしまったから・・・。」
「そう、・・・・でもね、若い人には次の夢が芽生える時間があるよ。」
年は二十代半ば、瞳が大きくまつげが長い。女性は無言で暖炉の炎を見つめていた。

「明日、少しこの別荘周囲を歩いてみようか、今晩は早く寝なさい。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・どこで、エロ話にしようかと、煩悩と羞恥心のハザマで悩みながら夢想を綴りました。(爆)

本音で語れば、私はスケベですので私が主人公である限り夢想の中でこのようなプラトニックなストーリーになるわけがないのですが・・・・、実際に見る夢の中では意外にもこれに近いです。(笑)

目覚めているときにはあくまでも合理的に、凍えて眠っているならば、風呂がわくまでの間ベッドで私の体温で暖めて、成り行きによっては・・・・・。←貴方の想像にお任せします。(^o^)丿

ただ、こういうシチュエーションでは、自然の中での命の営みというものも少し見せてあげたいです。
寒さに耐える木々の新芽とか、越冬している虫たちとか、ユズリハやカシワが春に新しい葉がのびて落ちること、雪の下で春を待つ片栗の芽など

どうも、カタクリの人間性には煩悩がくっついていて、死ぬまで離れないようです。(爆)
2005 Oct.1
大座法師池

66.夏の風物詩 幽霊


夏といえば怪談話が今も昔も話題になりますね。
怖いけれど見(聞か)ずにはいられない。
冬はゴメンですが夏は涼しくなるからちょうど良い。
オリジナルからの転記なので真逆の季節の話題が続いてますm(_ _)m。>

で、性別・年齢・容姿で怖さが大分異なるのですが、一番恐怖がそそられるのはやはり”若い女性で髪の長い美人”に限ります!!

もし、幽霊恐怖度仮装コンテストというものを行えばポッチャリタイプとかグラマー、茶髪は上位には入れないでしょう。
あまりセクシーでフェロモン漂う仏というのは、死しても尚残された男達に泣いて惜しがってもらえそうでかえって残った女性にうらまれそうで素直に成仏したほうがよさそうです。
たとえば、マリリン・モンローのような女性には怪談の話題になりにくいです。例え出てきてもサービス精神でこの世に下りてきたとと思われそうです。

髪はやはり長い黒髪が一番です!やつれて、幸薄く、男に騙されたり裏切られてかえりみられることなくこの世をはかなみ夭折した女というのが最もふさわしい。

昔の怪談・笑い話で浮気亭主が死んだ女房が化けて出てこないように仏様の髪の毛を剃ったという話があるくらいで黒髪でない幽霊では迫力不足です。

自戒の念を込めて、縁は大切にして女性には恨まれないようにしましょう。
あまりあちこちで浮名を流してあとで酷い目にあう前に身を固めた方がいいですね。Aug.10 2005
fcbloggohst

65.線香花火


季節はずれの内容ですが・・・・

夏の風物詩といえば、浴衣、七夕、スイカ、風鈴の音、そして花火などがまず脳裏をよぎります。

夜空に刹那的に彩られる打ち上げ花火も大好きですが、身内でやる小さな花火も好きです。

浴衣姿にうちわで蚊を追いながら線香花火をみいる姿は実に絵になります。

点火されてから火花を散らしながら次第に大きな玉をつくり、菊の花びらを散らすようにして
玉が小さくなり終には落ちてしまう。

この様が瞬間芸術の打ち上げ花火よりも、線香花火にはかなさを感じてしまうのは私だけでしょうか。

dropつゆと落ち、つゆと消えにし我が身かな 難波のことは 夢のまた夢

線香花火は太閤秀吉の時世の句そのものですね。

華やかで、潔く、印象に残ります。
Aug. 6 2005

hanabi

63.越後長岡 河合継之助


長岡・中越出身の方ならこの英傑の名を知らない人はいないでしょう。

幼少の頃、司馬遼太郎氏原作・北大路欣也さん主演のNHK大河ドラマ「竜馬がゆく」を観ていらい、坂本龍馬が好きになった私には倒幕は「正義」とずっと思っていました。
しかし時とともに、維新の見方が変わってきました。

龍馬自身は暗殺されてしまったので実現しませんでしたが、彼の考えていた日本のあり方は、長岡藩主席家老河合継之助の作り上げた長岡藩と近いものでした。
彼は若くして陽明学を学び、知見を広める為佐久間象山や備中松山藩の山田方谷の藩政を見聞し幕政改革に生かしました。

知行合一を旨とした彼の思想は、国中が尊王攘夷と佐幕の二つの思想が国を二つに分けて争う混乱の中で越後長岡7万4千石の武装中立を選択するというものでした。

生き方が同じ長岡出身の山本五十六連合艦隊司令長官とだぶります。

官軍との交渉が決裂しなければ彼の才能は明治の世にどのように開花したことでしょう。残念なことです。

小千谷談判の交渉が決裂し帰路で「もし戦争せずにすむならば汽船のニ三隻も買い入れ、藩士の次男三男を商人にし、貿易を学ばせ、シナや朝鮮にやって大いに国富を豊かにするところであったが、その望みもどうやら絶えたな」と何度もつぶやいたそうです。

逆説的な言い方ですが、長岡藩の不幸は藩政と戦術に有り余る才能をもつ河合継之助が全ての陣頭指揮を取ったことでした。
彼が無能な人物だったならあっさりと官軍に降伏したでしょうが、知行合一の心条どおり民を愛しあくまでも武装中立の理想を曲げませんでした。

せめて会津一国なみの雄藩であったなら、かれの夢はかなったのではないでしょうか。

************************************
戊辰戦争で最大の激戦地になった北越戦争では越後長岡藩7万4千石、兵を全て駆り出しても3千名弱、
圧倒的兵力を擁していた新政府軍の軍監岩村精一郎は、会津征伐の通過点としか考えていいませんでしたが、
後に北越長岡攻略では山形有朋が陣頭指揮をとっても3ヵ月近くもの月日を要し1100名以上の当時としては膨大な戦死者を出しました。 

「仇(敵)守る砦のかがり影更けて、夏も身に染む越の山風」 山形有朋
************************************

「米百俵」で名高い小林虎三郎は河合継之助の論的でした。

参考→【お勧めの本紹介:峠 司馬遼太郎著】 Aug. 3 2005
chuchu

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62.山本五十六元帥


人には、変えられない運命というものがあるのでしょうか。

この天才軍略家は越後長岡に生まれ育ちました。
旧長岡藩の儒家高野姓から名家山本帯刀家に養子に入りました。
家老山本帯刀は、戊辰戦争で官軍に対し「長岡藩は降伏しませぬ!」といって責を負い処刑された人物です。
幼少より聡明でふるさとを愛し、米百俵ゆかりの旧制長岡中学(現県立長岡高等学校)の頃から政治家・外交官ベンジャミン・フランクリンを尊敬し広い視野をもっていました。
30代には駐在武官として米国の圧倒的な工業生産力を熟知します。
日独伊三国同盟に際し、米内光政海軍大臣・井上成美軍務局長とともに同盟反対を唱え、日米戦争反対の姿勢を示し締結を1年遅らせました。
聡明で冷静な判断力と合理的な考え方の持ち主である彼にも、たった1度失言がありました。
1940(昭和15)年9月末、東京荻窪の近衛文麿首相宅で日米戦争の見通しについて尋ねられ「いざやるとなれば、1年間ぐらいは存分に暴れてごらんにいれましょう。しかし、2年先、3年先のことは自分にも分かりません」と答えた為、結果的に首相に誤まった判断を与えました。
その後連合艦隊司令長官になり、真珠湾奇襲作戦の陣頭指揮をたて、日米開戦のボタンを押す立場になってしまったのは皮肉です。
先見性に優れ、大和・武蔵などの巨大戦艦の造船に反対し航空の重要性を力説し、真珠湾で実証しましたが、それを教訓として学んだのは米国でした。
勝負事に強く将棋・カードでは無敗の彼も圧倒的な力の差には勝てませんでした。
真珠湾攻撃から1年4ヶ月後パプア・ニューギニアのブーゲンビル島上空で撃墜により戦死。

晩年、戦争の幕引きのシナリオをどのように描いていたのでしょうか?

もし、海軍の中枢が山本五十六の提案を受け入れ巨大戦艦造船でなく航空機重視をしていたら、また計画道理真珠湾で米国空母を撃沈していたら、日本の歴史は変わっていたかも知れません。
山本五十六が平和な時代に生まれていたなら、その広い視野と合理的な知略は国際舞台で花開き後世に残る政治家になったことでしょう。または、偉大な教育者になっていたかもしれません。

「やってみせ ほめてみせねば 人は動かじ」

平和な時代に世にでて活躍して欲しかった人です。
長岡出身の人物で、私が紹介したい3人のうちの1人です。

米内光政氏・井上成美氏は戦争終結にも奔走した人たちで、敗戦後戦犯の罪にも問われませんでした。
June 16 2005

Appendix

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Author:katakurijpn


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